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ペンダ (マーシア王) : ミニ英和和英辞書
ペンダ (マーシア王)[おう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ペンダ (マーシア王) : ウィキペディア日本語版
ペンダ (マーシア王)[おう]

ペンダ(Penda、? - 655年11月15日)は7世紀七王国時代マーシアの王。マーシアに隆盛をもたらした人物として知られている。またキリスト教アングロサクソン諸国に広まりつつあった時代にキリスト教に帰依していなかった人物としても知られる。
ペンダは633年ハットフィールド・チェイスの戦いノーサンブリアエドウィンを敗死させ、9年後のマザーフィールドの戦いではエドウィンの後継者オスワルドも戦死させ、イングランド中央部に強大な勢力を持つ王となった。さらに彼はイースト・アングリアと戦いこれに勝利、そしてウェセックスに進攻して王チェンワルフを亡命させ、さらにノーサンブリアへ進攻するなど強大な権力を持つ王となった。しかしその13年後の655年、ノーサンブリアに転戦中、ウィンウェドの戦いで戦死した。
== 各資料の記述の比較 ==
この時代の資料は少ない。ペンダに関する資料としては9世紀ウェセックス王国で編纂された『アングロサクソン年代記』、7世紀ノーサンブリアの修道士ベーダ・ヴェネラビリス(以下「ベーダ」と略す)の記した『イングランド教会史』、そして9世紀ネンニウスが記したとされるブリトン人の史書『ブリトン人の歴史(Historia Brittonum)』がある。
『イングランド教会史』によればペンダは「マーシアの高貴な血筋より出でた最も好戦的な男」と書き記され、633年のエドウィン王の敗北に続いて彼はマーシアを22年間統治、様々な富をもたらしたと伝えている。このベーダの記述を考証した20世紀の歴史家フランク・ステントンは彼が高貴な血筋であった事は間違いなくエドウィン亡き後唯一の王となったのだろうと結論を述べている。
『ブリトン人の歴史』では、彼の統治期間は10年としている。恐らくこれは642年のマザーフィールドの戦いから数えた数字であると思われるが、実際には10年以上の統治期間があった事は認められている。前述のアングロサクソン年代記は統治を30年としており、違いは明らかである。この違いは恐らくペンダに関する資料のどれもがマーシアのものでないからと考えられている。
ベーダの生まれ故郷であるノーサンブリアはペンダの敵国であり、『アングロサクソン年代記』の書かれたウェセックス王国の前身である西サクソンはペンダが王を放逐させ支配下に置いた国である。すなわち現存する3つの資料のうち2つが敵国ないし被征服側の資料である事は留意すべきである。
以下、著述される資料の違いを明確にするために『』で表す事とする。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ペンダ (マーシア王)」の詳細全文を読む




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